国際アクセスディンギーレガッタ2001キャンベラ

by nobi

皆さん、ご苦労様でした。無事に帰ってきました。

参加した人たち全員がいろんな経験をして来ました。

☆大阪からの参加者

★視覚障害のマイケル、岡さん、

accessdinghy race★肢体不自由のMINA 西谷さん

★脳性麻痺のオダッチさん

★片足切断の渡邊さん

★視覚障害の野上さん

大阪からのボランティアの参加者は

●藤本さん・太田さん・西岡さん・野上さんのお母さん・八木さん・中田さん・和田さん・

別旅行で合流したアヤさんと伊藤さん

☆岡山からの参加者

★車椅子の綱沢君

yellow sail ★同じく車椅子の斎藤イッペイ君

岡山からのボランティアの参加者

●吉沢さん・志野さん・綱沢君のお父さん・イッペイ君のお父さん

SAILABILITY Japanからは

●合田氏と澤田KeiさんとNOBI1、NOBI2

オーストラリア、シドニーに住むトリーシアさんは、昨年、清音村役場に働いていて日本語の通訳のボランティの為に参加してくれた、

●関西新空港に22日集まったのは、大阪からの19名と岡山からの4名の二三名の大きな団体だった。

車椅子使用者3名と視覚障害二名の飛行機の旅行には、昨年の経験をうまく生かすことができた。

◎昨年オダッチの電動車椅子を、手押しの車椅子に変えたこと(手押しの車椅子は川村義肢さんが、オダッチの為に協力してくれた)

:**電動車椅子は重量が大きく、リフト付き車を、用意しなければならず、その分移動のコストが高くつく、車椅子を押してくれる人がいれば電動を手動に変えるべきだ。

◎その分、出発の時間が早くなり、待ち時間が多くなったが乗り換えの時間を多く取ったことで、ゆったりとしてキャンベラに着くことが出来た。

いろんな考え方の旅行があると思うが、今回の場合、目標は、ヨットレースに参加することで、観光旅行ではないと言うコンセプトを徹底した事が良かったと後で、感じている。

●観光旅行は、何時でもお金さえ出せば出来るが、ヨットレースに参加することは、この機会で無いと経験できないことだ。

観光目的の方が加わっているとすれば、我慢してもらう以外に方法は無い。

もし来年も、参加するとすればこの方針は、続けた方が良いと考えている。

 

◆<大型バスを買ったぞ!≫━━━━━◆

●キャンベラにつくと、空港には、キャンベラに在住していて、SAILABILITY ATCの活動に参加している高田さん夫妻が迎えに来てくれていたが、兎に角、全員をホテルに送ってやるといっていたグラームさんが見当たらなかった。

bus

車を借りるのであれば、手続きしなければ、それに高田さんもいることだしと思ったが、電話をかけてみると,既に空港に来ているというので場所を言うと、グラームさんがやって来た。

車を持ってくるのに手伝って欲しいのでついて来いという、一緒に、パーキングの入り口に来てみると、そこには、大型バスが止まっていて、「これなら何人でも乗れるぞ、約束しただろう!」

想像を超える事が起こる物だ。中に入ってみると、台所流し台、冷蔵庫、トイレ、5つのベッド、3つのテーブル、が並んでいる。

成るほど彼が人数についてあんまり詳しく訪ねてこなかった事がそこでやっと判った。

これだったら30人くらいは運べそうだ.。

今回、日本からの参加者は26名になるが、それを聞いたグラームさんは、前日の朝に、このバスをシドニーで150万円で、買ってしまったという、奇想天外と言うのはこんな事を、言うのだろう、そういえばオーストラリアの人でさえ、グラームと一緒にいると、退屈する事は無いと言っていた。

●SAILABILITY JAPANも、グラームさんが助けていてくれる限り、退屈するような事は無いだろう、

●このバス後はどうするん如何するんだと言うと、娘はもう一人立ちしてしまったし、海軍士官学校に行っている息子は、宿舎に入っていて、家にはいないので、俺達夫婦は、このバスをもっと住みやすく改造して、オーストラリア中を回るんだと計画を言ってくれたが、ロレッタがほんとにボルケーノに成らないのか不安じゃないのかしら、

NOBI1,2も一緒に回ろうよと誘ってくれたが・・・

 

◆<整備されていた会場≫━━━━━◆

●初めての参加者には、レースをどんな所でするのか知りたいと思うのが,人情と言う奴で、ホテルに入る前会場に行ってみた。

 

昨年よりも随分と綺麗に整備されていたが、シースカウト裏の艇庫は、まだ完成されていなかった。

ボランティアが、労働提供して作っているから時間は気にしないと言う、オージースタイルがここでも貫かれていた。

綺麗に整備されていると言ったが決して設備を充実させた訳ではない、ベンチなんかは相変わらず一つしかなかったが、綺麗にペンキが、塗られていたし、小道も舗装が新にされたのではないが、大きな岩が 小道の両脇に並べられていた。

樹が植えられていたのと、柵や門柱が新しく整備されたので、綺麗になったと言う印象が、受けたのか知らん。

それに桟橋も、新品で、昨年のことを考えると、大きくて、確りした物になっていた。

◆<ホテルの部屋割り≫━━━━━◆

●昨年と同じで、このホテルはアクセスディンギーレガッタに非常に協力的で、参加者には、特別の安い値段で部屋を提供してくれている。叉、何より、大型バスが止まっていてもゆったりしたパーキングがあるのが救われる、

●予約名簿を変更する度に、段々判らなくなってしまい、それにグラームさんが軍隊で使っていた、簡易ベッドや、バスの中のマットなどを使えば、全員に寝床がなんとかなるのではとの事で、汗が引っ込んだ。

簡易ベッドとマットに眠ってくれた皆さん、スミマセンでした、そしてありがとうと、このマガジンを借りて御礼と感謝をしたいと思います。

兎に角、当面の寝床は、確保できた。

◆<インターナショナル≫━━━━━◆

今回はインターナショナルということで、シンガポールの8名、アメリカからの4名、フランスからの2名が参加していた、他にもカナダ、NZLもいたが、その人たちはOZでもあるようで、どんな人達なのかわからなかった.。

★シンガポール

突然シンガポールが何故出てきたのか、少し話してみて判ったが、ボートを製造設計している、クリスは、若い頃シンガポールで過ごしていた事があったので、そのつながりで昨年の夏(8月)アクセスディンギーが、導入された。したがって4名の障害を持つ参加者は、全員セーリグをはじめて数ヶ月と言う。

★アメリカ合衆国

アメリカからは、デビーがSAILABILITY USAとして参加していた、ケンタッキーフライドチキンのカーネルアンダーソンさんに良く似たMayerさんがサンフランシスコから差kん化して、303Sに乗って参加していた。

★フランス

ピエール・バニー夫妻が参加しており、アクセスディンギーコンセプトを理解するのと、この活動の参加者とパイプを作る為に、やって来たといっていた。(彼らは英語をしゃべっていた)

本当に、今まさに、始まった所でこれからいろんな、組織や政府の機関に交渉して行くと熱心に言っていた。

★★この活動のコンセプトの広まりは、極小さなモノであり、有意義と信じている私達は、夫々方法は違っているが、御互いに元気を与え会うように御互いに連絡を取り合って行き広まりに努めようと話し合った。

 

★★★SAILABILITY JAPANは、2002年10月に国際アクセスディンギーレガッタを実現する事を決めました。

 

 

マイケル

◆<大阪の話≫――――◆

●8隻のボートが有り、昨年夏には、全国ヨット大会をアクセスディンギーで行った実績も有るSAILABILITY大阪は、前回アクセスディンギー・オーストラリア選手権に3名の選手が出場している。

●ちなみに 前回は10名の団体であったのが、今回は26名の団体に膨れあがった。

●前回、日本から電動車椅子で参加した、オダッチは、今回手押しの車椅子を寄付してもらって参加だ、昨年パーティでは電動車椅子でダンスした御かげで、みんなの人気者になっていたが、今年もまた地元のテレビのニュースに移っていたらしく、ラッキーボーイ健在だ。

●マイケルは、その明るいキャラクターでオージーの間で有名だ、叉グラームさんが彼を「International bust tester」として紹介する物だから益々、みんなに印象を強くした。

★SAILABILITY Dobroydのバーバラさんに、前回会ったとき、グラームさんがバーバラのバスとは凄いんだぜと言うと、マイケルが、テストすると言って手を出して、触れそうになりみんなで大笑いした時のことを、みんなに大げさに紹介されているんです。

★もう一つ彼を印象つけている事は、彼が、中田さんとのコンビで、無線を使って一人でレースに出場した事だ。視覚障害が一人で、レースに出て行く事は、オーストラリアでもまれなことで、彼自身がオーストラリアのブラインドの皆さんに勇気とやる気を与えている事は、大変高く評価されても良い事だ。

★バーバラさんは、マイケルにイタリアで5月に開かれる、ブラインドのマッチレースに出ないかと盛んに話しかけていた。

★スキッパー・ミーティングで、マイケルが視覚障害を持っており、無線の助けでセーリングしている事が紹介された。また、主催者側は、マイケルの為にコーヒー色のセールを用意して、参加者とレスキューに注意を喚起した。☆それでも、ポート,スターボーで抗議を受けてしまったが、その結果はどの様に裁定されたのかは知らない.

●MINAさんは今回はじめての出場だが、英語で盛んに話をしていた。主催者のボートの数の都合で、Devi2で出場してもらった。

☆外国でヨットレースをすると言うのは大変特異な体験で、誰だって最初は緊張する物だ。少し不本意な結果だったかもしれないが、Dale Williamさんよりも良い成績だったのは見上げた物だ。

●異色のコンビは渡邊さんと野上君で、これも叉主催者のボートの都合で、急遽303(スループ)での出場に変更してもらった。

☆渡邊さんは60歳を越えているが、30年ほど前に、トラックの荷物が崩れて足を切断してしまった。調度グラームさんと同じ所で切断しており、二人で話を良くしていた。

☆渡邊さんは、非常にハッピーな人で、パーティでも最後の歌は彼が歌い盛んに拍手を受けていた。こんなときは,何でも良いから眼だった方が、良いのではと思ったものだ。もはやオーストラリアで、たくさんの友達を持っていると信じている。

★野上君が今回オーストラリアに来る事を決めた時期は大変遅かった。彼はアスリートで、パラリンピックで、もしかしたら、グラームさんとシドニーであっていたのかも知れなかったのだ。そのトライヤルで、パラリンピックに参加できない事に成り、アクセスディンギーレガッタの出場を決めた。

★今回は御母さんとの同行旅行だった。

※この二人は303に決まったのがレースの1ヶ月ほど前で、完走する事も危ぶんでいたくらいだった。

※しかし5回のレースをすべて完走したのは立派だった。二人の乗ったボートは、303の別のDivのレースで、優勝したゾルタンさんの乗っていたボートで、セールの色がオレンジでよく目立っており、マークを回る度、野上君のお母さんの興奮した声を聞くと、マイアミでお母さん達が自分の子供を応援する為に大声で叫んでいたのを思いだし、何所も一緒なんだなァ〜と感じた。

★セールの色が夫々違う事のメリットは障害の識別だけでなく、遠くから応援している物にとっては、大変有効な情報だ。レースで誰が何所を走っているのか良く判別できるのは 本当応援に力が入るもんだ。

◆<岡山の話≫――――◆

●岡山の皆さんは、牛窓マリーナと言う瀬戸内海の風光明媚なところで、アクセスディンギーのセーリングの活動をしているが今の所1隻しかボートがなく、用意する期間も短く、充分な練習が出来ていないのが現状だ。

●しかし、話を聞いていると、大変注目されているらしく、2001年正月の山陽新聞に、オーストラリアに行く事を書いてもらっている。

●岡山を出発する時には、3台のテレビカメラと10人ほどの新聞記者の取材があり、ラジオのインタビューも受けたと、喜んでいた。

●帰りの新幹線の中で、電話取材を受け翌日の朝刊に、成績と一緒に新聞に出ていたとの事だ。

●考え方は色々有るが、世間から注目してもらえることは、それだけでも、網沢君とイッペイ君に取っては有意義な経験であると思うのだが。

●出発についても、朝日、読売の地方紙に掲載された聞いているが、どなたか知っていれば教えてください。

★二人の参加したクラスは、Div5で、参加者は、11艇有った。

関西空港にて

★イッペイ君親子は、その中で総合3位に入り健闘したし、一番興奮したのは、第4レースで、網沢さん親子が二着で入ってきた時だった。その日に、岡山でやっと仕事を、終えて駆けつけてきた吉沢さんが興奮して、何かを我慢してしゃべっている時の声は、未だに耳のそこに残っている。

☆「1隻しかない岡山では、スタートを切れるのかどうか心配していたんです。上手くスタートした上に、走る、走りよる。みんなたいした者です。」

☆暫く経ってDiv6のスタートの時、、六分前の旗と勘違いした吉沢さんが、網沢さん親子に岸から「六分前の旗ですよ」と声をあげて知らせた時、逆に「あれはDiv6の旗」と教えられ、あの二人は落ち着いていると感心した物です。

☆アクセスディンギーのレースではスタートのルールをより簡単なルールに変更されています。

◆<アロケート≫――――◆

●このレガッタは全て現在SAILABILITYの活動に使われているボートを、参加者が持ち寄って、実施される。従って、ボートについてのクレームは許されない。

●夫々のボートには、寄付された企業名や、団体のマークが入っているが、その事に対するクレームも許されないし、その事を理由にしてボートが、入れ替えられる事は無い。コストを押さえる為には当然の処置で、企業名や、宣伝を嫌う、どこかの国とは大変異なる状況だ。

これも、アクセスディンギーの日本での普及の大きな壁になるなァとなんとなく思っている。

●しかし、持ち込む事で、起こる事も有った。

★先ほども書いた様にマイケルのボートには、主催者からセールナンバー017の特別な色のセールが用意されていた。

★ボートはすぐに見つかったんだが、そこには別の参加者もいて、すぐにダブルブッキングしている事がわかった。

★セールナンバーとボートの登録ナンバーとが違っていたのだった。

★マイケルのボートはドレなのかわからなくなり、主催者に聞いて見ると、相手の人が乗るのが、どうも正しいらしい。

★マイケルのボートはどこだ?と走り回っているうちに、ピッツウォーターのトラックが着き、その中にあるとの事。

★セールを取り替えて、出艇した時は、既にスタートが切られていたと思うが、風がなく最初のレースは、ノーレースと言う事に成り、影響を免れた。

★★何故こんな事が起こったのかというと、要は、参加者の中で、もう一人弱視の人がいて、ボートを用意している人が、マイケルの「ファーストレディ」といボートが見つからないもので、弱視の人のボートに、セールを着けたと言う事だ。

●他にもイッペイ君のボートについても、同じような問題があったが、今はもう忘れてしまった。

●前回、アクセスディンギー・セーリング、システムからは、クリス以外、誰も来ていなかったが、クリス以外に3人も来て、ボートの管理を手伝っていた。

★最も年長者のLOUと話をしたが、彼はこのアクセスディンギーを作る仕事をする事により自分自身に誇りをもっている事、世界中の人達から感謝されていて、大きな喜びとなっている。

☆LOUは日本から参加した人と話が出来るのが大変嬉しいと行って、みんなと話をしていた。

☆クリスは大変忙しくしており、生産を任されている事はきついことだが、クリスのハートとアクセスディンギーの可能性を信じている。

●アロケートは全てジャッキーとクリスで行っている、そして、実際のボートの配置と割り当ては当地のシースカウトの人達が、夫々担当している。叉全ての情報は完全に区分されており、担当の人に言わなければ全ては片付かない。

●今回正確にどれほどの数が集められたのか正確に掴んでいないが、完全に指揮系統を守らなければ、大変混乱してしまうのは事実だ。

●こう言う状況になると言葉の理解が難しい我々は大変不利で、他の国際大会では一体どんな風にしているのか興味のあるところだ。

 ◆<レースの話≫――――――◆

●レースの始まったのは、24日の10時からだった。

いろんなレベルのレースがあるので、たくさんのレースをこなさねばならなかった。貰った予定表では 最初の日に17レース・プラストップガン・レース(只直線を帆走するだけのスピードレース)を加えると何と18のレースがこなされなければ成らない

●次の日のレースと合わせて、全部で28のレースが実施された。選手は夫々、5レースとトップガンに出場と言う事になる。

●昨年よりも、ボートの数は少なかった、ボートを集める事に大変苦労しているのはわかったが、予想よりも、参加者が多くボートの集まりが少なかったようだ。

●アクセスディンギー選手権は 障害を持ったセーラーを応援しているオーストラリアのコンピューター会社「アスペクト」がスポンサーに、そして、 アクセスディンギー財団の後援なっている。これは昨年も同様だった。

●あまりに規模の大きくBIG Nameに成ってきた、このレガッタが、何所を目指して行くのか、大変大きな課題が現れてきている事は確かだ。

●各Divと出場者の分析があるのでそれを参考に報告してみよう。

☆Div1―――ゾルタンさんなどの出ている、レースの経験の豊かなレーサー達のレースでは19名の参加者のうち10名が障害を持つセーラーと言う事になる。

☆Div2―――23名のうち14名が、Div―――19名の内17名、Div4―――16名の内15名、Div5(2.3ダブル)―――21名の内14名が障害を持っている出場者だ。

☆303では、一人で出た人は、14名の内13名、二人で出場組は、26名のうち13名が夫々障害を持った人数になる。

☆最も若い人は7歳から、そして、最高年齢は84歳と報告されている。

☆このレースは女性と男性を分けていないのも特徴で、2.3部門ではその40%が女性と報告されている。(女性の参加者が多いのも叉大きな特徴だ。)

●今回、SAILABILITY AUSTRALIAが、運営から外れて、協賛になっていたことも有り、AYFのオーソリティが加わっていたのがどんな形だったのか正確にはわからなかった。

(SAILABILITY AUSTRALIAはAYFに所属しているが、アクセスディンギー財団は何所の団体にも所属していない。)

●レースに出る費用だが、スキッパー一人につき、30A$を支払った、叉クルー一人につき帽子と、レガッタシャツを15Aドルで与えられた。

受付に行くと、シャツを買う事も出来たが、その時はすっかり忘れてしまっていた。

●日本で良く見る様にスタッフ達がみんな揃いのシャツを着ている事は無かった。スタッフの来ている物は簡単なチョッキのような物で、調度サッカーの練習試合の時、使っている奴だ。これなら他でも使えるし、使いまわしが効く、言い考えだ!

◆<食事やテント≫――――――◆

●このレガッタでの食事は、艇庫に使われている小屋で出されるのだが、夫々、フルミートで約7A$で食べられる。叉、シースカウトの子供達が、ケーキやら、清涼飲料水を売って回っている。

●本部から弁当を配る日本スタイルではなく、簡単なBBQと、飲み物と椅子が良いされているだけだ。自分の弁当を食べる事もOKAYだが、そんな奴はおらんかった。

●テントも大型が、5から6張り用意された、夫々適当に日陰に入る事が出来た。叉我々にはグラームさんの大型バスも有りそこにはいる事自由に出来たので助かった。

●一番大きなテントは、表彰式の会場に使われたもので、大きな物だった。

●会場に使われた湖には、普段は車は置けないのだが、レガッタの時は置ける様になっていた。大変大きな広場で、グラームさんの大型バスがと待っていても全く気にならない広さだった。

●トイレは昨年と同様車椅子用のトイレは、1基しかなかった、通常のトイレも5基で前回と同じの様だ。

●兎に角、何故かレースの間は、忙しかった。

●ここでの感想は、このレガッタが大変安くつくように、実行されている事で、イベントの本来の姿と思うのだが、如何だろう。

☆安くつくように実現するにはボランティアの力が必要だと言う事だ。

◆<オーストラリアの友人達≫――――――◆

●今回も叉いろんな人と再会できた。主な人達について書いて行こう。


★グラームレイナーさんは既に何度も書いているが今度も大変強い印象を与えてくれた。彼については、ホ―ムページの中で良く出てくるのでここでは省こう。



★クリス、ミッチェルはアクセスディンギーの設計製作者で、この運動の推進者だ、寡黙な彼は滅多に口を利かないが、確実にやるべき事をヤル。今回の彼の仕事は新型の303sの調整とNavaのエスコートだった。

★ジャッキー、ケイは、クリスのパートナーで、その正確ナそして迅速な判断は、信頼できる。今回も忙しい中大変良く助けてくれた物だ。

★ルーは製造部門での、クリスのパートナーで、自分の作っているボートに乗っている人達と会う事に大変喜んでいた。

★トムとジョーもまたルーと一緒にボートの製造に加わっている。

★ニールとバーバラはSAILABILITY NSWで、中心になっている人達だ、今回も随分多くの人達を連れてきた。

★マリーとジェフ、マリーとはマイアミで一緒に旅行したし、旦那のジェフは今度の5月日本を訪問する。横浜から別府に行くそうだ。浜松やら京都を案内してやる約束をした。(笑い翡翠さんにもお願いしているが。)

★ダイルさんもまた、マイアミで一緒だった、今回話をする時間が無かったが、マイアミの写真をくれた。

★テムは、ボートの実際の割り振りを行っているが、前回大変世話になったが今回も叉世話になってしまった。

★テリーはキャンベラのSAILABILITYの活動を行う中心人物で、セレモニーのときには 進行役をしていた。

★高田さんファミリーは、キャンベラで、この活動に参加している在住の日本人家族で、前回も今回も大変な世話をかけてしまった。言葉やら運転やら。。。

★ナバは今回最も注目されていた女性で、人口呼吸器をつけて、アクセスディンギー303sでDiv-6に出場、この新型のボートに乗っている時、何処からでも、人口呼吸器が働いている間は、チカチカとフラッシュしていて近くには緊急用のゴムボートが浮かんでいたのが印象的だった。ナヴァのパンサ号

★その他、オーストラリアの多くの友人の助けがあり、私達の旅行は成功する事が出来ました。

  

<表彰式≫――――――――◆

●レガッタはその日、オージーモードでは珍しく、予定通りに1時になると終っていた。

風は昨日と同じく、殆ど吹かずに終った。

 

●表彰式には、オーストラリア総督ウイリアム・デーン卿が出席が有りました。

ウイリアム卿は、このレガッタを、後援しているアクセスディンギー財団の強力な支援者です。

前回のレガッタで、日本からの参加者をウイリアム卿の邸宅に招かれたものだ。

●表彰式が始まる前、ウイリアム卿を迎えるために、打合せが行われました。大抵こんな場合、時間はすぐに長引く物だから、出来るだけ短くと、司会役のテリーさんには 何度も念をおされた。

●段取りは次の通りだ、

☆各国から来たアクセスディンギーの活動をしている、代表と、今回のレガッタでスタッフとして働いた代表者が一列に並んで、総督閣下と娘さんを迎えるのである。

☆その際総督閣下は夫々に、ねぎらいの言葉をかけられる。

☆その後、一般の席に戻る訳で、私は大阪市長の総督閣下宛ての手紙を、渡さなければ成らず、再び呼び出される事に成る。

(★悲しいかな今回私はがちがちに緊張してしまった。)

☆それから夫々の表彰者に自らメダルを渡すと言う段取りだ。

☆式典はスマートに素早く進行していった。とても良い雰囲気になり夫々の選手は名誉な事に総督閣下と握手をしてもらい一緒に写真を撮ってもらっていた。

●吾ら外国から来た選手には、遠来賞というのが夫々渡され、総督と一緒の写真を撮る機会に恵まれた。

オダッチやイッペイクン達はレースでも3位に入っていたので二度もその機会に恵まれた訳だった。

前回、私はこの式典を真ともに見る事が出来なかった。その時ほど自分を誇りに思い、感激して涙を止める事は出来なかったからだ。やはり今回も同じ感激が私を襲っていた。

◎私は、何時もこんな時グラームの方を見てしまう、そして何時も同じように眼を涙でうるましている、グラームさんを見つけるのだった。

◎理由は如何有れ、グラームと私が会わなければこんな事になっていたかどうかは疑わしい事だ.そして、御互いに遣り通せた事を誇りに思う、それに気持ちが新たに成るのは事実だからだ。

今年は26名の参加者が有ったのは、充分と言えないかもしれないが、成功しているといえる。

そして、他の国の人たちも日本で起こった事に注目している。

 

●外国からの参加者は前にも述べたが、日本からの参加が最も多かった、次はシンガポールでこの国でも8ヶ月前にこのプログラムが始まった所だが、ユニフォームまで揃えてきていた。

●アメリカからはマイヤーさんが参加していたが、デビーさんが、SAILABILITY USAとして参加していた。フランスは2人が夫婦で参加していた。

●式典は4時前まで続いた、総督閣下は、殆どの参加者にメダルを手渡すまで、いた。

●式典が終ると、全ては手際良く片付けられていった、もともとこのボートは部品が少なく組み立てと片付けは非常に簡単で、1時間も経つと、殆ど片付けは終っていた。

●今回、岡山のスナメリぐるーぷは 御土産を持ってきていたので、最後の機会でも有り夫々適当に配って行った。

○文香さんの書いた二枚の皿はSAILABILITY、オーストラリアの代表者と」司会をしていたSAILABILITY ATCのテリーさんにまた、T―シャツに名前を書いて、NAVAとAMEそれにオーが無い図していたジャッキーさんに手渡した。また、スナメリの旗は、アクセスディンギーの工場の壁に飾って欲しいとジャッキーさんに預けた。このレガッタのボランティアで働いてくれたシースカウトの事務所にも飾っておいて欲しいとプレゼントした。

○記念のT−シャツは、シンガポール、アメリカ、フランスの人たちそれにドブロイドのバーバラさんにプレゼントしてもらった。

★★●今回のこのレガッタ参加は、前回とは違った意味で意義あることだった。

○今、アクセスディンギーは大きな航海の出発を果たした事を感じた。

昨年アメリカで最初の国際レガッタが開かれたが正確に言うと昨年の我々の参加が、後押しして実現できたと思うし、この形の大会が今後いろんな国でもたれる事だろう。

○私達は今回日本で、国際レガッタを2002年に開く事を宣言してきた。今から知らせておくと、日本に行くために資金を貯めようとするし、またその他の計画も合わせて経てて行く事が出来るから最後の良い機会であると、オーストラリアが希望したからである。

●日本での実情を考えると、果たしてその様な事が出来るのか疑わしいのは、充分判っている。

●しかし日本での普及と世界との交流と言う意味で、今この時に開催できると、世界との交流もより、ハッキリした物になる。

●何所で、レガッタを行うかと言うのもこれから検討して行かなくては成らないが、基本的には大阪市のどこかになるだろう、やはり最も多くのアクセスセーラーがいる所だからと言うのがその理由だ。