タウンホールの前で
メルボルン市長
John So と Jackie Kay
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1.
メルボルン市はセイラビリティを応援します



トゥルーディー・マクフィー
   (国際関係プロジェクト・コーディネーター)。

ルボルン市は、姉妹都市関係を通じ、国を超えて、生活の質を向上させることに再びコミットします。




2003年10月6日(月)午後7時ー
メルボルンのギリシャ人コミュニティの150人がメルボルン市庁舎に集まり始めました。出来事?メルボルンとテッサロニキの姉妹都市関係と、メルボルンでのセイラビリティ・ヘラス(=古代ギリシャの呼び名)号の進水を祝うためです。

 メルボルン市は、1999年にアクセス・ディンギーを姉妹都市・大阪市に紹介するよう努め、今、もう一つの姉妹都市テッサロニキに力を貸そうとしているセイラビリティを支援することにしました。

 セイラビリティ・ヘラス計画はテッサロニキ市の市長、バシリオス・パパゲオウゴポウロス氏から完全な支援を受けています。テオ・テオファノス・エネルギー産業資源大臣、ギリシャ総領事、両市の姉妹都市協会長のスピーチも、同市長の支援あってのものです。

 とは言え、ヘラス計画に最初に寄与したのはメルボルン市でした。市長のジョン・ソー卿は8000ドルの小切手をアクセス・ディンギー基金に寄付したのです。この寄付で、セイラビリティを創設するためのアクセス・ディンギーが入手できました。

 テッサロニキ。メルボルン市のアクセス・ディンギーは、夕方ずっと展示され、最初の試走もしました。その際、写真撮影のためにメルボルン市長が船に飛び乗りました!

 この夜は大成功だったのでしょうか?活発な会話と多くのネットワーク。メルボルン市はアクセス・ディンギー基金のような団体を支援することによってハンディを持つ人たちの生活の質を向上させようとしています。私たちの姉妹都市関係は、コミュニティを支援することで、この目的を達成する理想的な手段となっています。この機能が、ヘラスにたくさんの寄与をすることを願います。

 みなさんおめでとう、そしてジャッキー・ケイ、クリス・ミッチェル、この素晴らしい夕べへの貢献をありがとう。メルボルンでのヘラスへの寄付の情報は第3項をご覧下さい。

 

以上、東京、宇野隆哉様協力

2.論説

 みなさーん。

 編集者にとって、通常の欄に入りきらない原稿があるというのは、何と素晴らしいジレンマでしょう。世界中から送られたさまざまな記事をお楽しみ下さい。送って下さった方、ありがとう。送り続けてくださいね、原稿が来すぎるというのは、本当にうれしい悲鳴ですから。

 この2カ月間、2008年北京パラリンピックの3回目の訓練に向けて、討論が世界規模で熱心に行われました。新しい訓練は、重度の障害を持つ選手に合ったものになるでしょう。ISAFのサイトにフォーラムがありますので、もしよければwww.sailing.org の「ISAF Sailorで、ご自分を選手として登録して下さい。「Sailors' Forum」「IFDS Disabled Sailing Forum」ものぞいてみて下さい。

 ここに楽しい小冊子「もう一度、お尻を濡らして」があります。これはアクセス・ディンギーの乗り手とその友達による短い文章を集めたもの。この新版には、さらに国際的な感覚があふれ、オーストラリアのサー・ウィリアム・ディーン前総督が序文を寄せています。入手法の詳細はお尋ね下さい。

 この素晴らしい「テルテール」を、増加中の読者皆さんが楽しんで下さるよう願っています。

 

 3.ギリシャの心コンサート

 メルボルン市などの後援による「ギリシャの心コンサート」は、メルボルンでのギリシャ文化を祝うため開かれました。

 有名な作曲家、クリストス・ロアニディス氏の指揮で、17人編成、50人の合唱隊、5人のソロ奏者が、1000人に上るギリシャら聴衆を沸かせました。聴衆は床を踏みならし手拍子をうち、記念碑や難破船のスライドが映写され、舞台の上のスクリーンにはオリンピックの理想が映し出されました。

 ジョン・ソー・メルボルン市長は次のように話しました。
「このイベントは、メルボルンにあふれる活気あるギリシャ文化と、
テッサロニキとの姉妹都市関係への素晴らしい支援を祝うものです。今夜のコンサートの収益が、テッサロニキでのセイラビリティ・ヘラス計画を運営するアクセス・ディンギー基金に寄付されるということを喜んでお伝えします。セイラビリティ・ヘラスは、テッサロニキでハンディを背負う人たちにセーリングの機会を与え、生活の質の向上につながることを目指しています。」

 

4.初セーリングの日、オランダ

  マーチン・フォスター
      (オーストラリアの「セイラビリティ・ドブロイド」ボランティア)

 私はシドニーでセイラビリティのボランティアを5年やってきましたが、母をドイツに訪ねた際、アイリーン・ウェンティンクから、オランダでの初セーリングを手伝ってくれるよう誘われました。2003年6月28日、アイリーンとその友人たちは、ルーストレヒト湖にある水上スポーツクラブ「白い家」で心からの歓迎をしてくれました。AkkoとWilma

 それは素敵な週末で、ハイライトの1つはウィルマと会ったことでした。
ウィルマは重度の外傷後ジストロフィー患者で、サーボ補助ディンギーを使いたいと考えていました。障害を持つ前から、彼女はセーリングをしていました。ウィルマはサーボ補助ディンギーの初の乗り手になり、クッションを施し、さあ出航。その笑顔をみなさんに見せたかった! 初めての自由と独立! ジョイスティックはちゃんと動きましたが、調整して、より簡単に操作できるようになりました。ウィルマは港の方向が分からなくなりましたが、それでも湖上の島々を帆走し、自由をただただ楽しんでいました。何時間帆走しても、彼女は帰ろうとしませんでしたが、辺りは段々暗くなり…。

 セーリング2日目、ウィルマは帆と舵を調節する電子サーボ補助システムを使いました。これでさらに喜びは増しました。2日間とも、ボートにとっては素晴らしい風で、私が日曜の午後、ドイツに帰るときもウィルマはまだ湖上でした。




2003年11月号 5−1