なぜ、江ノ島だったのか?
東京に来ても、私達はsailabilityの関東での活動拠点を見つけることは、簡単にはできなかった。
東京には夢の島マリーナがあるがここにはヨットエイドジャパンが本拠を置いている。
ヨットエイドの活動の中心はディンギーでは無く、エンジンが付いているクルーザーが主であり、夢の島マリーナもクルーザー中心で、ディンギーと言うエンジンの付いていないボートのセーリングとは共生できない。
つまりエンジンの無いボートは出入りはできないということだ。
そこで若洲ヨット訓練所と言うディンギー専用のマリーナあるが、2〜3度このマリーナで体験会ができればと考えて、連絡をしたことがある。
手順は次のように成る。
●まず若洲ヨット訓練所に電話をして見る、すると現場の返事はなかなか好意的だ。
すぐには拒絶しないが、判断はここではできないので、管理事務所の管轄課に電話して了解を取ってもらいたいと返事をしてくれる。
そこで喜び勇んで、教えられた電話番号に連絡を取ると若い女性が出てきて、上司に聞いてみるからと、又電話をしてくれと言う電話だ、そこで時間を見計らって連絡すると、「障害者が使えるような設備では無いので、御遠慮願いたいという判断をしていますと」担当の女性が応える。
それだったら、初めから綺麗に断って欲しいと思ったものだ。
兎に角障害を持った人が参加するというと、大抵はうまく行かない、そんなことが重なってくるとマリーナには近づけなくなる、何と言ってもやはり断られるのは嫌だ。
横浜ベイサイドマリーナの場合は違った理由だった。夢の島マリーナと同じくエンジンの付いていない小舟がうろうろする事は禁止されている。
つまり契約する時にその様な条項があって、どんなに良い場所があっても、認める事は出来ないらしい。
私は、1996年ころ「海星」と言うセールトレーニングシップに何度か乗っていたことがある。
その船は横浜で活動しているので、ベイサイドマリーナでヨットに乗っている人もいた。東京に来たころその人を頼って、会った。
その人が、ベイサイドに丁度できるところがあると言って、クラブやマリーナに働きかけてくれた事がある。勿論うまく行かなかった。
勝手な理由は幾らで作れるもので、外国だったらテンダー(船から船の移動には小型の手漕ぎボートを使うのが常識なんだが、日本ではそうは行かないのである)
つまり、よそ者がいきなり行ってたとえ自分で全ての費用を持つからといっても、保険も賭けているからと言っても、このような体験会はできないのが実情だとわかった。
ましてや、レスキューボートを用意することなんて実際不可能になる。
関西が意識が高いというわけではないが、関東には、こんなに素晴らしい活動でも支持者を見つけることはできないのかと、落胆ばかりしていた。
又、唯一頼りになりそうな日本セーリング連盟のS理事は、実際には何もしてくれない事がわかった。
ヨット界はバブルがはじけたころから、危機が続いている。バブル紳士の懐を当てにして、戦略を立てていたヨット界は、彼らがいなくなると共にダッチロールを始めた、当てにしていた市場が消滅してしまった。
つまり、ヨットが売れなくなってしまった。世界のヤマハも現在ではヨットの販売をストップしている。
ヨットが普及しないもう一つの原因は、社会の流れを読み取る事が出来ていない事だ。
これはヨットだけでなく、学校スポーツ界全般に言えることだ。
日本のスポーツは、学校教育の中で普及が図られてきた感がある、例えば野球や、ラグビー、バレーボール、テニスなど殆どのスポーツの普及は、学校教育を中心に考えている限り、子供世代の少数化に伴ってそのパワーがなくなってきている。
少数化と一緒に、娯楽がしかも商業的娯楽が蔓延してしまって、学校スポーツに関心を持つ若者はどんどん少なくなってきている。しかし、スポーツの指導者は、従来のやり方を変えることが出来ない。
指導者がエリートとして選んでも、選ばれたものはすぐに始めようとは思わないのだ。
健全な青少年を対象とするだけでは、望む普及は出来ないだろうというのが私の結論である。
ヨットあるいはセーリングも学校教育の中で他のスポーツ同じ落とし穴にはまっている。
マリンスポーツとして、若い人が思い浮かべるのはヨットではなく「ウインドサーフィン」や「スキューバーダイビング」あるいは「カヌー」である。
つまり学校教育の中ではメジャーとは思えない種目の方がマリンスポーツとして思い浮かべられるのだ。
いろんな人が、その原因について述べているが、ヨットを普及しようとすれば、普及をしようとするものは東京ディズニーランド(TDL)と市場競争をしなくてはならないのだ。
それに勝るものを持っていなくては、学校スポーツは永遠に勝てない、なぜならTDLの方が勧誘の説得力もあるしモチベーションもはるかに高いからだ。
相撲の親方が「飯を腹いっぱい食わせてやる。」と言う言葉で新弟子を集められた時代はもうはるか昔に終わっているのである。
先にあげた学校教育以外の種目では自分達の位置を正確に読み取っている。対象は健全な青少年だけでなく、わかいOLや熟年層を取り入れよう、少なくとも彼らを味方につけようと努力をしている。
アクセスディンギーが働きかけるのは実にその部分だが、ヨット界が現在迄手をつけることを怠っている部分で、はるかにその対象は、大きいのだ。
一般の人達がヨットハーバーやマリーナをどの様に思っているのか、一般の人達を受け入れる姿勢があるのか、私の活動はこの部分で立ち止まっていたようだ。
他にも、横浜八景島マリーナにも行った事があるが、ディンギー専用のマリーナでは、使用を断られる事は無かったが、隣接する八景島シーパラダイスの営業時間には、ボートの出し入れをする事はできない、朝は8時まで、夜は10時以後出ないとアクセスディンギーを陸から持って帰ることは出来ないというとんでもない条件が付く事になる。
つまり、関東での普及活動は、袋小路入ったようなものだった。
苦言を呈するようになってしまうが、先に述べた、このままでは日本のヨットと言う文化がなくなってしまうのかという危機感を持つ人と出会うことは難しかった。例え、いたとしても、具体的に何を始める事が出来るのかと共に立ち向かっていこうとする人と、出会うには時間が、かかった。
その様な状況で、受け入れてくれたのは江ノ島ヨットハーバーだった。「最初の江ノ島物語」で紹介した、ほんの小さな体験会がきっかけになった、
つまり、出艇料金を払えば桟橋を使わせてくれるという、毎回埼玉からアクセスディンギーを車に乗せて江ノ島まで行くのは多大な費用と労力を必要としたが、それでも何度か私達は体験会を行うことができた。
私達に選択の余地など無かったのだ。鰹テ南なぎさパークが受け入れてくれなかったら、私は関東ではアクセスディンギーの普及は絶望的だと諦めていたと今でも思う。
障害を持った人たちが、大勢江ノ島ヨットハーバーに現れるというのは、ハーバーにとっては特別なイベント以外刃、それまでには無かった、しかもそれほど多くの回数の障害者セーリングのイベントがされている様子も無かった。
それはいろんな状況が働いたと感謝している。
やがて、それにセイラビリティ湘南を立ち上げた佐々木君が、全豪選手権に参加した後、一緒に江ノ島の体験会を手伝ってくれるようになった。