僕のヨット遍歴



KAZAGURUMA
次のヨット:KAZAGURUMA

最初のヨットから離れて、何時の間にか10年の年月が経っていた。ヨットに乗ろうと誘ってくれたのはやはりS君であった。その10年間は、日本のヨット界に大きな発展があったのだろう。
ヤマハ33のKAZAGURUMAの一番違う所は、船室の中でまっすぐ立てることだった。台所のシンクには、水の蛇口があり、中には豪華なソファーがあり、マストの太さも、倍ほどもあった。外洋だって行けるんだと、言う話に疑いを持つことはなかった。

最初のセーリングは、大阪淡輪ヨットハーバーから三重県の五ヶ所湾と言う長いものだった。毎日、天気が良くて、五ヶ所から電車で帰る時、顔が日焼けで真っ赤になっていたことを、思い出す。そんな日の入浴は大変つらい物だ。足が焼けていると、風呂ではしみてつらいのだ。

その頃は、KAZAGURUMAは、クラブレースに出ることもなく、年2,3回クルージングに出かけるだけだった。
叉、たとえレースに出ても、後ろの方を、走っているだけで、勝ったという思い出は記憶にない。いや一度だけ他のボートがマークを間違って偶然見つけたマークを、回って勝ったのを、覚えている.
しかし、間違いなく僕の世界は、KAZAGURUMAに加わり広がった。今でも付き合っているKさんや、Hさんと知り合ったのは、KAZAGURUMAのおかげだ。

落水事故

このボートに付いては、ほんと色んな事があった。最も大きな事件は、正月の落水事故に遭遇したことだ。その日は一年の最初の日曜日の初セーリングと言う奴で、とても風が強く、キッと25ノットくらいの強さだったと思うが、何時も参加する6,7人で三時間ほどのセーリングをした。風も冷たく波も大きくてとても気持ちの良いセーリングとは言えなかった。(大阪湾でヨットに乗っていると、殆ど大きな波に遭うことはない。特に冬の北風の時は、淡路島にさえぎられているので強い北風が何日も続かない限り波は、いったん収まるものだ。あいにく、何日も続いていたのだろう) 我々は予定を早めて、ハーバーに向かうことにした、私達のハーバーは南西に面しているので、ハーバーの入り口に向かった時、風は後ろから受けることになる。
いわゆるランニングだが、ワイルドジャイブと言うのが良く起こる。説明すると、メインセールの下の横の棒が、予期しない時に右から左、あるいはその反対に、移動する。たまたまそこに立っていると、その棒は、人を払いのけて移動を済ます。その人は、運が悪ければ、大怪我をしてしまう。それが、ブームパンチだ。
波とそれに早い目にセールを、おろさなかったからだろうか、KAZAGURUMAにその事故が起こってしまったのだ。
ワイルドジャイブが起きた瞬間、僕は振り返っていたのだが、その時、誰かのブーツが落ちて行くのが目に入った。
Aさんが、海に落ちた。その時何人乗っていたのか正確に覚えていないが、殆どの人が、慌てて、わけのわからないことを叫ぶばかりだった。こうして2次災害というのが起こるのかと、思ったくらいだ。セールをおろしているとAさんが浮いてきたのが判った。額が割れて、血が出ているのが確認できた。Aさんは、メンバーで一番体格が良いし、元気者である。それでも、額が深く割れているように見えて、本当にこのまま死んでしまうのではないか、心配した。こんな経験をした人は、あんまりないと思うから、教えてあげるが、人間を、海面からボートの中に引き上げると言うのは並大抵のことで、出来ないと思う.特にAさんのように体格が良いと、それは至難の技である。幸いAさんは、自分で上がることが出来たから良かったが、もし気を失っていたらと思うとゾーっとする。
私達は、一刻も速く、ハーバーに着いて救急車を呼ばなくては、と無線でハーバー事務所に連絡を、とった。(その頃携帯電話は、全く普及していなかったので、真っ黒な煙を出して、ボートを走らせるより仕方なかった。(今は、本当に良くなったものだ)
しかしここでも私達は、別の失敗をした。彼の意識はハッキリとしていたが、頭を打っていることで動揺した私達は、彼を動かさないで置こうという結論を出して、濡れたまま横に寝かせていた。これは本当は良い判断ではなかった、彼の衣服を脱がして乾いたものを着せるべきだった。彼は、ハーバーに着いた時、ガタガタと体を震えさせていた。運が良かったとしか言うことが出来ない、体力のあるAさんだったから、助かったのだ。
打った個所も運が良かった。額と言うのは非常に硬いところだそうで、これが横の方にずれておればと、考えるとゾーっとする。
この事故で、ヨットの恐ろしさは、身にしみてわかった。



船酔い

船酔いと言うのは深刻な問題だ。この世に船酔いを感じないという不思議な種族がいるが、僕は正常なので船酔いを勿論してしまう。
(こんな事を言っているが、本当はうらやましくて仕方がない。神様は実に不公平な事をしている。)
ヨットを2度と乗りたくないという人の多くは、この船酔いにあうのがいやだからと思う。

自分一人が胸を悪くさせているのは実に惨めで不愉快だ。船酔いを知らない人にとっては、人の痛みを感じられない冷血漢と思われても仕方がないと思うのは、私一人ではないと確信している。船酔いを知らない人は気をつけられた方が良いと思いますぞ!

KAZAGURUMAに、乗り始めて間もない頃だったと思うが、これも大阪淡輪ハーバーから、四国の阿南と言う所に向かったことがある。5月のゴールデンウィークだった.その季節の風は、いわゆるドンブキと言うのが時々あるのだが、前線が、近づいてきていて、くる前に出てしまおうと、誰かが判断して、夜の一時頃に出発した。僕はいつもは、セールロッカーに、使われているバゥ(船首)のベットに横たわっていた.適当に交代をしようと言う話になっていたのだと思う.
前線が近づいてくると、メイストーム5月のドンブキが始まったのだ。ピッティング・ロウリングというゆれの種類があるらしいが、そんなことに関係なく船酔いは始まってくる。眠っていて目がさめたトタン、吐き気を感じて、後はもう涙と涎で、顔中べたべたと、なっていた.何度も、何度も(本当はもっと’何度も’を書きたいのであるが我慢しよう。)後悔をして2度とコンな目にあうのは、いやだと、思ったものだ。ヨットの夜というのは日常の生活から、かけ離れた生活だ。電気は使わない、普通はバッテリーで電気を貯めてそれを使うのだが、エンジンを原則としてかけないので、電気は、すぐになくなると思ったほうが良い。特にオートパイロットを使う時には、電気と言うのは大変貴重なものとなる。何日もかけてクルージングを する時には、バッテリーに気を使ってやるべきだ。暗闇の中というのは今の生活では日常的ではない。
想像は難しいと思うが、狭いキャビンの中に8人のオッサンが、ゲロを吐きながら横たわっている姿も、叉日常的でない。長い年月のおかげで、記憶もやっと薄らいできているが、あの時の船内の酸っぱい臭いは、記憶のどこかにこびり付いているだろう。
しかし不思議なことに、一人だけ酔わなかったと、白状している人がいた。その人は、どこの大学かは、忘れてしまったが、精神医学を学んでいるとの事で、そのピンチに『自分は酔わない』という自己催眠を、かけたそうだ。
おかげさまで、あの中でも酔いませんでした、とニッコリ笑いながら言われた時、本当うらやましくて、その自己催眠のかけ方を詳しく教えてくれるように頼んだが、彼は教えてくれなかった。

船酔いが、激しくなると、ウォー・ウォーと叫びながら、ゲロを吐くものだから、お宅には船にトラを、連れてきているのかと心無い質問をされた時もあった.またある人は、あんまり船がゆれるものだから、タクシーを、呼んでくれと言って聞かなかった人もいる、シドニーなんかでは、簡単に水上タクシーを呼ぶことができるが、大阪湾の中では呼べるのかどうか知らない。



危機一髪の話
 くれぐれも言っておくが、これは後で僕の聞いた話で、僕が決して当事者ではないことだけは、信じて欲しい。
KAZAGURUMAのメンバーが、3時間ほどで着く、淡路島のある港に入ったことを想像してください。
勿論硬派の我々のボートに、女ッケはないのは、容易に信じることができる。
そんな時は、どんな場合でも、上等な酒(この場合決してワイン等と、軟弱なことを言ってはならない。)酒なのである。
一般的に言って、青空の下で飲むアルコールと言うのは、中々酔わないものだ。ビール何ぞは、飲んでも気持ちが良くなるだけでさっぱりと、酔ってしまったと言う実感が沸いてこないのが普通だ。
大阪から、淡路島までは、よいエンジンを持っていれば、2時間くらいでつくものだ。(ヨットのエンジンと言うのは、モーターボートのエンジンよりもはるかに小さいのが普通である)。
船舶免許には、酔っ払い運転と言うのがないと、嘯く人が多いが、この時も、酒と淡路島で仕入れた烏賊をさばいて、楽しくやっていた。そんな時、いつもと違う事を、やってみたくなる物で、その時は、いつもから入るハーバーの出入り口では、なんだか物足りず感じてきたのだそうだ。そこで、彼らは普段は危険だと言って決して通らないところを、地元の漁船がスイスイ行っているのをみて、行こうと言うことになった。
しかし酒を飲んで気が大きい時でも、烏賊がおいしかった時でも、危険なところはやはり危険に代わりはない。いきなり何の工事も無しに、通路が出来るわけがなく、底が当たってしまった。ヨットには横に流れるのを防ぐキールというのがある。大抵のクルーザーには、1メーターほどの深さのキールがついている。
漁船がスイスイ行っていたとしても、ヨットが、当たらないと言う保証はどこにもない。もし、当たらなかったら、それは運と言うのが良いだけで、大抵の場合、やり遂げられた冒険はすぐに忘れられてしまう。
不幸にもこの時は生涯忘れることの出来ない、事故になってしまった。
何でも、舵を持っていた人は、岩に当たった時の衝撃で、前にツンノメッて、頭だけが船室に投げ出されて、足はコクピットに、ばたつかせている状態になったそうだ。舵を持っているその場所は、手で何かをつかむと言う事が出来ない場所で、そんな馬鹿なと言う姿勢になる危険があるということだ。
そんな衝撃があったのだから、浸水が心配になって、船室の床板を上げてみると、赤い色のした水が見えた、こんな状況を想定して、船底を設計している船ではなかったので、最初は、その狭い部分の水をかい出す為に、料理で使うタマで水をかい出そうとしたが、たちまち水はあがってきて、マグカップ、なべ、バケツとだんだん大きくなっていったが、それでも間に合わなくなってきた。
その間に、船底を、岩に当てながらも、岸壁に戻る事が出来たが、浸水を止める事は出来ない、船底にどんな穴が開いているのか潜って見たが、キールの付け根に大きく隙間が開いていて、そこに物を積める事も出来なかった。
バケツで水をかい出していっても何時終わるのか判らない事だし、仕事はだんだんきつくなってくる。こういう事が、悲劇と喜劇が入り混じっている状況と言うのだろう。
何時の間にか、沢山の人達が、何をしているのかと集まってきた。その中の一人が、近くの道路工事の現場に有るポンプを使えば良いと、言ってくれて、ポンプで水を汲み出すようになって、漸く、次の対策を考える事が出来たと言う。
その後、近くの修理をしてもらう造船所に事情を話して、発電機とポンプを持ってきてもらい、造船所までポンプで水を出しながら牽引してもらい、修理を頼んだと言う事で、大変な出費と時間を無駄にしてしまったと言う、話を何度も聞かされた。
何度も言っておくが、この時、僕は乗っていなかった。

まだまだ続きます。