







今回のレースは今までのアクセスディンギーの国際レースと違って、「国際セーリング連盟(ISAF)」に公認されたレースとして企画されたもので、其の分参加している選手のレベルが高く、参加国の数も多くなっています。
しかし、基本的にはアクセスディンギーの大会に参加している選手の数が多い事には変わりはありませんが、ただ今回、最重度肢体不自由の障害を持つカテゴリーBには、アクセスディンギーの色々な大会で常に上位の成績を上げている人達が入らなかったので、其の分、最重度肢体不自由の障害を持つものには公平な試合が出来る機会が、はじめて与えられた機会だといえます。
この大会が企画されたのが何時なのか正確に知る由もありませんが、2年前アクセスディンギー303シングルシートと言うのが、開発された時に、イギリスのIFDSのポール・ハリソンさんが非常に興味を示されたのがテルテールで紹介されていました。
その後3メーターの303シングルシートを3.6メーターに長くして、しかもシングルシートでサーボシステムを採用して、深刻な障害を持った人でも自分ひとりで乗れて、相当の性能を持ったディンギーを開発しました。
今まで、アクセスディンギーは子供だましの玩具だと酷評していた人達も、リバティを見れば意見を変えざるを得ないという事になるのではと言う期待を持ってメルボルンに行きました。
其の性能を反映してか、ピーター・トンプソンなどの参加メンバーの中にはパラリンピックのセーリングレースで活躍している人達の名前も見受けられます。
レース結果から参加者をご覧ください
飛行場で私たちを待っていたのはクリスとジャッキーそれにイギリスでアクセスディンギーをライセンス生産をしているボートビルダーのスティーヴさんの3人でした。
今回は移動のこともありレンタカーと携帯電話を借りることにしました。
メルボルン飛行場の裏にはホリディインと言うホテルがあります。そこでスティーヴさんのお友達と合流して一路、アクセスディンギーの工場に向かいました。
メルボルン飛行場からかヨットクラブまでは約時間半かかりました。オーストラリアは日本と同様車は左を通りますが、交差点がランナアバウトと言うサークルになっていて田舎の方になると殆ど信号がありません。
それさえなれると運転は簡単ですが、地理はそういうわけに行かず、3度目のメルボルンにもかかわらず全く何処を通っているのか判りませんでした。
工場は、空港とBYSの丁度中間といったところでしょうか、Dandenongと言う地域にあります。日本で言う工業団地の中の二棟を借りています。
工場にはグラーム・レイナーさんとセイラビリティポートスチーブンスのピーターさんが私たちを待っていました。
グラームさんは今回この大会には出ずにサンドリンガムヨットクラブで行われているインターナショナル2.4のレースに出場するためにやってきていました。
クリスとジャッキーは出来上がったばかりのアクセスリバティを4隻積んだトレーラーをつなぎ、私たちはカナダからこのレースを視察に来ているキースさんを車に乗せてというのかナヴィゲーターとして乗ってもらって、BYCに向かいました。
BYCに着いたときは、既に夕方と思いますが昼の長いこの地ではマダマダ夜の欠片もありませんでした、しかしそれにしても、この半島の先端にあるあるヨットクラブとしては何と賑やかな事でしょうか。
しかもきている人の中に女性や子供達それに高齢の人達が沢山混じっているのは日本のマリーナではなかなか見受けられないことです。
後で触れる事が出来ればよいのですがBlairgowrie Yacht Squadronでは、年間の催しが、オフシーズンの5月から10月はさすがに少ないですが、何と沢山のイベントが行われているか、参考の為HPからご覧になってみてください。
このヨットクラブは、ここに来る直前まで気がつかなかったのですが、大阪カップでの第2レグ、つまりここから大阪まで出発するレグのスタート地点です1999年に私はこの地をラングーンで訪れたことがあるのです。
覚えているのは、振り回しで舫っていて、クレーンのレールがやけに長く遠浅だろうと思ったことです。それに近くに外海への出入り口があるせいか、水の美しさは素晴らしいものです。
かつて訪れた時は季節的にもうすこし後だったのですが、季節の印象は殆ど変わりません。
今回、訪れて気がついたのですが、陽射しがやけに強いのですが、それと引き換え、南風がとても冷たいのです。ですから体を動かさない時にはすぐに寒くなって来うるのです。
しかし防寒をして少し動くと寒さは気づかなくなる、そんな感じです。
大阪から参加した小田さんは、キャンピングカーで自炊という作戦で、江ノ島から単独で参加した山谷(曽根)陽子さんには近く
のモーテルが手配されていました。(クリス・ウィルソンさんが毎日の送迎を担当してくれていました。
今回、小田さんにも曽根さんにも実質的に私たちはお手伝いできなかったのは残念に思いました。
次回からの選手の参加にはこの辺を根本的に考え直して参加していただけなくては、なりません。
私たちは、早いうちに宿舎に着きました。スッテペルトハウスは素敵な手入れの行き届いたお庭に囲まれたおしゃれなところでした私たちを玄関のある天子が迎えてくれます。
その夜、クリスさんとジャッキーさんは夕食はとりませんでした。そこで、私たちは何処かに食事に出かけようとしました。
クリスは近くのモーニングトンに舫っている30メーターもある世界一周ヨットレースに出たというスカンジアを見に行くと面白いと言ってくれました。
そこで私たち夫婦はカナダのキースさんと一緒にモーニングトンに出かけることにしました。
その後近くに戻って、チャイニーズレストランに出かけました。
帰ってきたときは、すっかり日が暮れていて、野山しか見えない道を運転して戻るのに大変苦労させられまし。
私たちの宿舎に割り当てられていたのはアクセスディンギー財団のクリスミッチェルとジャッキーケイ、カナダのケースホッブ、セイラビリティUSAのハーブメイヤーさん一行、セイラビリティHellas(ギリシャ)のPanayotisさん父子それに沼津から急遽このレガッタを視察するためにやってきた一杉さん、ニューヨークからこのレガッタのビデオを撮るために参加したPoulさんがMt.MarthaにあるSppelt
House B+Bと言うところに同宿する事になりました。

翌日、レンタカーがあるお陰で私たちは、ゆっくり宿舎を出ることが出来ました。このホテルと言うのは日本で言うならば大変な山奥にあるような周りにはお店は全くなく隠れ家のような雰囲気で、しかも大きな木の下に平屋で建っていますので、外からは目立ちません。
周りの家も大きくて、とうとう帰るまで御近所では人を見ることがありませんでした。
簡単な朝食をすませると、私たち夫婦はカナダのキースさんと一緒にレンタカーでBYSへと出発しました。ここでも行けども行けど、同じような景色ばかりでキースさんがいなければたどり着けたのかどうか怪しいものです。
行くまでにM-1というフリーウエイを通るのですが、制限速度は100キロですが、日本の高速道路のように渋滞はありませんし、気持ちよくなってきて、前が空いているのでスピードを120キロにしてしまったときです。
本当にほんの一瞬だったのですが、オーストラリアのパトカーが、これは隠れていたというのでしょうか、後ろから飛び出てきて、ライトをつけてとまれのサインを出しています。何とオーストラリアの「ネズミ捕り」につかまりました。
国際免許を見せて、キースさんがなれないオーストラリアでの運転で、レンタカーだったし今回は許してやってくれときっと言ってくれたのでしょう。警察官もニコニコしながらオーストラリアの速度制限をこれからは守ってください、注意にとどめておきます。といって許してくれました。
BYSにつきますと、ヨット教室が行われていて、大勢の子供たちが遠浅の岸の近くでヨットで遊んでいます。練習とかそんな雰囲気ではなく、遊んでいるのです。大人達は腰まで浸かって、子供達のヨットの世話を焼いているようです。
オーストラリアがヨットが盛んだと言われ、日本の人達がうらやむ場面が良くありますが、こんな地道な努力の積み重ねが、ヨットの隆盛を支えているのだと改めて感じました。
又滞在期間を通じて思ったことですが、この半島の突端にある小さなヨットハーバーに平日だったのにもかかわらず、大勢の人達が詰め掛けてきます。民間経営のこのクラブが、どの様にして人をこれだけ集めているのか、日本のマリーナも参考にできることが沢山あるのではと感じました。(公営の多い日本では参考程度に終わって染むかもしれませんが…)
11時ごろだったと思うのです、セイラビリティNSWのチャールズさんが、BYSのボランティアの皆さんにリバティの艤装の方法の講習会を開きました。
集まったボランティアの皆さん高齢の方が多かった、これはセールメルボルンの催しで若い人達が他のところに行ってしまったという見方もありますが、基本的にこれだけのお年寄り(失礼なと声が飛びそうですが)、こんな形で社会参加している姿を見るのは素晴らしい事だと思うのです。
このリバティは重度の障害を持った人でも自由に操船できるようにと色んな仕掛けを持っています。
また、電機で動く補助システムも舵とメインセールだけでなくジブセールの調節も補助できるようになっていて其の分電気関係の負担が大きくなっています。
つまり、デリケートな部分が多く電気関係の専門家も準備には必要です。
それにより安全に安定性をますために、70キロのセンターボードを持っていますが、これは大変重いものです。手で運ぶ事は不可能です。水に浮かべてからのキールのセットは人力では、出来ません。

テントの下に並べられているアクセスディンギーの座席が外されて選手の体にあわせて新たに部品がつけられました。
操作も重度の肢体不自由な人が操作できるように従来ジョイスティックだけではなく、息の出し入れでボートを操作する方法や、少しタッチするだけで動かせる操作システムが新たに採用されました。
このように、皆さんへの説明が終ると、ボランティアの人達はボートを桟橋に運んで艤装をはじめました。
その他に気づいた事ですが、このマリーナの建物は、バリアフリーになっていませんでした。2階にサロンとバーがあり、みんながここに集まって食事をしたり、パーティをしたりするようになっています。今回の選手権の為に作られたのかどうか、わかりませんが簡易のエレベーターが、作られていて、クラブ員が当番で運転を引き受けています。
其のエレベーターは建築現場で見られるような、飾り気のないものでした。それでも、車椅子の人達にとってはこれがあるのとないのとでは格段の違いがあります。
仕事が終るとオーストラリアの通常のヨットクラブのようにみんなが2階のサロンに集まり団欒を過ごすという素敵な時間がやってきます。何時も誰かが誘ってくれますが、其の日は山谷さんと一緒に近くのスーパーに朝食を仕入れに行こうと言う事になりました。一番近くにあるのはRYEと言う町に行くとあります。
外国の普通の店をのぞく事は楽しいもので、山谷さんのお陰で興味深い時間を過ごす事が出来ました。
彼女の宿舎は、BYSから10分ほどのソレントと言う古い町の、モーテルで食事の設備がなく回りに車椅子で行けるレストランなどがないと事でした。
エイミーさん一家もそこに泊まっていて、丁度出てきたロバートに盆栽カレンダーをプレゼントすることが出来ました。
ちなみに、彼女は一年前から盆栽を持っているそうです。
今回、盆栽博物館のカレンダーをお土産に持ってゆきましたが、殆どの人は盆栽と言う言葉を知っていて、関心の高いことに驚きました。
これはガーディニングがメルボルンでは、盛んと聞いていましたが其のせいかもしれません。
ヨットクラブに戻ってみますと既に食事の時間は終っており、私たちは再びRYEまで行き今度は山谷さんの夕食の為に、寿司バーに行って夕食を仕入れました。ソレントにもう一度山谷さんをおくって、それからキースさんと私たち二人は真っ暗になってしまった山道を、スッペルトハウスに向かいました。途中ちょっとわからなくなってしまいましたが…
続く