
今回のレース会場にやってきた目的の一つは「リバティ」の艤装や性能をこの眼に確かめてみたいと考えていた事は確かです。
また、借りに何処かの人がこのボートを買ったとしても第一艤装が難しく、又、必要な設備も他のアクセスディンギーと違って確認しなくてはならないと思っていました。
予想通り、リバティに乗っている厳しい障害を持った人たちを見ていると、障害者セーリングの分野でも其の可能性を大きく広げている事は確信できます。
今回の選手権で世界にアピールすれば、おそらく自分の可能性を見出す人はかなり多く出るだろうと思う。
レースで上位を占めているのは、かなり長く本格的にセーリングをしている人達で、アクセスディンギーの世界がかなり今回でレベルアップしてきた事は大いに感じます。
14日(3日目)、艤装や運搬などのお手伝いを、午前中はしていました。つまり働いてていたわけですがこの艤装がなかなか難しいのですが、。これで詳しくアクセスディンギーの事を知る事が出来たと思います。
昼食にはもう一度山谷さんを誘って、ソレントに食事をしに行こうということになりました。この古い町は、色々な店が沢山あって、町並みも落ち着いていたが、何しろ車が多かったのです。
駐車場を探していると車椅子のところしか空いていなかったので、車椅子の人が乗っているわけだし、問題なかろうと車椅子障害者用駐車場に車を置いて、兎に角食事をしに車を離れたのです。
別に特別食べたいものがあるわけではなく、町を見学する機会を持ちたかっただけなんですが、どうもそれがいけなかった。
食事を済まして戻ってみるとワイパーに、罰金100ドルのステッカーが張ってある。これは[オオゴト」なんです。
前のお店の御主人に何処に行けば車椅子の人が乗っていたことを訴えられるかと聞いたところ知らないという。
何でも、車椅子の人が乗っているというステッカーが貼っていなければ、貼られるという、日本ではこんな場合警察が行っているが、オーストラリアでは警察ではなくてCouncilつまり市役所が受け持っている。なるほど考えると其の地域のことなんだから、警察が担当している日本の方がおかしい。駐車違反は地域の問題で、犯罪や治安に関係ない。
しかし、其のCouncilと言うのが何処にあるのか判らない。レンタカーの地図を見て、電話をかけて、相手に教えてもらっているが、はっきりとわからない。
あわてていたので、余計に判らなかったが、普通一寸した人なら、市役所の位置くらいは誰でも知っているはずだった。結局通りの人に尋ねて場所がわかった。
Rousebudという車で20分くらいのところにCouncilがあって、Customer Serviceに行って、車椅子の証明書を見せてもらって、最後には素敵な休暇をといわれてCouncilを後にする事が出来ました。
それにしても、素敵な森の中にあるようなっ市役所でした
日本ではこんなわけに行かないだろうな、管轄は警察だから話をするだけでも居丈高な態度で応対されそう出し、(以前何度も経験した事がある。)警察よりも良いなぁと密かに思っている。
やっと、そんな事件から戻ってると5時近くになっていた。
其の日の午前中にセイラビリティ・インターナショナルの始めての会議を持とうということになっていました。
集まったのはポルトガル、USA、ギリシャ、日本、カナダ、オーストラリアの6カ国が集まった。(ハンガリーのゾルタンは欠席)
この最初の歴史的な会議は、今後大きな流れを世界に作るためには必ず役立つだろうと思われます。
ここで、実際に各国が持っている問題や情報交換をする事は実に画期的な出来事です。
このインターナショナルは、以前から存続していたが、はっきりと何が出来るのか何の目的で、つくるのかはっきりするところはなかったので、盛んに活動をしているというわけでもなかった。
今回集まってみて、親しく話をしていると、お互いに同じような問題を抱えていたり、必要な情報を交換したりする事は有意義であると誰もが感じた事でしょう。
オーストラリアのコリンさんの発案のロゴの提案もあったが、地球を囲んでいるようなそんなコンセプトを表すロゴという注文がありギリシャの人が戻ると考えてみるといって終わった。
昨日は、ヨットクラブで食事をする事が出来なかったが、ヨットクラブの人達と一緒に食事をする事はどんな場合でも、重要な事です。コミュニティの一員として認めてもらう大きなチャンスといえる。
コミュニティでの交流の良いところは、一人親しい人を作ってしまうと、たちまち、其の仲間を尾紹介してくれて、爆発的に知人が増えてゆくことです。はっきり行って其の中から気に入った人と付き合えばよいのです。
今回一番最初に親しくなったのは、72歳と70歳の老夫婦で旦那さんのデビットは晩年のグレコリーペックにそっくりさんで、奥さんは車椅子に乗っている、上品でとても楽しい御夫婦だった。御夫婦の仲間で元飛行機会社でスッチーをしていたというDrothyさん、次にMaxさん夫婦を紹介され、友人はどんどん増えてゆく。
新品の楽しい仲間と一緒に楽しい会話を交わし、そして、バーベキューの美味しい食事が出来てこれ以上何が必要だろうか??
私たちは、今回ここを訪れて本当に良かったと、思ったものだ。
(写真は本人達があまり写りたくないそうで、ここでは公開することをやめておきます。)
楽しい時間の後、暗くなってしまって、又カナダのキースさんのナビゲーションで、宿舎にむかった。

我々の宿舎には前に言ったように、3人の車椅子の人達がいる。朝9時30分に大型の車椅子専用の大型バスが迎えに来る。その車には9人の車椅子が乗れる、だから車の中はがらんどうだ。
しかし、小さないわば普通の家の玄関の前で大型のバスがぐるりと回れるのはさすがにオーストラリアだ。
日本ではこうは行かない。この日はアメリカのハーブさんとギリシャのパンヌさんが乗っていった。
我々は相変わらずキースさんのナビゲーションで、ヨットハーバーに向かいました。
ヨットハーバーに着くと、グラームが来ていた、彼はサンドリンガムと言うところでインターナショナル2.4 のヨットレースに出ているが、マストが折れてしまってレースに出る事が出来ないという。
そこで其の修理もあるが、こちらに寄ってくれた。
グラームは、NPOセイラビリティジャパンの理事でもあるので、懸案の問題を其の時、話する事が出来ました。
彼はセールメルボルンが終わると、タスマニアに奥さんと一緒に回るつもりでいると聞いていた。実は私たちも本来、ホバートの友人ピーターフレッチャーに会いに行くつもりだった。しかし、急遽、一杉さんがメルボルンのこのレースを視察したいという話が出て、それをやめることにした事情もあり、ピーターフレッチャーの娘達へのお土産をグラームに託す事にしました。
この日は、殆どフィッティングが終わり,選手の人達が,試験的にセーリングが出来るようになりました。朝一番に、山谷さんがリバティで初めてのセーリングをした、続いて小田さんもしてフィッティングの最終的な調節を済ますことが出来たようです。
ボランティアの人達も、だんだん忙しくなってきて、最終的な打ち合わせを行いました。
私自身は、桟橋でボートのフィッティングのお手伝いが出来、沢山の写真を撮る事も出来た。
一杉さんの来豪は正確に言うと確定して尾ませんでした。一杉さんから最終的に飛行機の便名を聞いたのは確か私たちの出発
の直前でだったのではと思うのだが、何でも前日に日本を出発してシドニーの友人を訪ねるという、彼は国際携帯電話を持っていて、電話をもらって、最終的なスケジュールを確認できた。
実に地球は狭くなったと実感できた一日でした。
其の日になって気がついたが、屋根に参加国の旗がひらめき撒きついた日本国旗ほどいたり、国際レースの雰囲気が盛り上がってきた。
夕食は、ドロシーさんたちと一緒にする事が出来たと、この夕食の時にいきなり、ヨットクラブの人から「大阪カップ」でここを訪れた貴方に敬意を表してクラブのバージとヨットクラブの歴史を書いた本を貴方に上げたい。其の時、貴方はスピーチをするが日本語でするのか、それとも英語でするのか教えてくれ。」
私が大阪カップに出たことを高く評価してもらったことはこれまでに一度もなかったので、嬉しかったし、スピーチは英語でやると言った。
「Good'y mate」これを言うと、大抵拍手がもらえるのです。今度機会が在れば、お試しになるとよろしいようです
大阪カップの時の思い出が又よみがえってきた事、それがきっかけで始まった日本でのアクセスディンギーの活動と共に戻ってこれた事を、お礼を述べてスピーチをしました。
後で何人かの人が握手とを求めてきてくれて、思わぬ良い思い出が出来た
このヨットクラブにはブリアナさんと言う神戸に一年間留学していた娘さんが、クラブの中のお父さんが経営するレストランを夏休みの間手伝っている。
彼女達は日本が出来て、大阪の人達や山谷さんと親しく話が出来たいたのは、少し安心できた。
其の夜、クリスと私たちは日本での活動について話し合うことが出来た

一杉さんの飛行機は11時30分メルボルン空港の到着予定だった。
一杉さんは沼津でアクセスディンギーの活動を始めようと考えているのに参考になればと言うことと、活動を始めるにあたりアクセスディンギー財団やフィル・バーディなどと会う事で国際交流も視野に入れてのことだ。
シドニーから無事到着して私たちはアクセスディンギー財団の工場にいった。そこには前日話していたので、ポートスチーブンスのグラームとピーターが我々を待っていた。
そこで工場の様子を見てもらい、そこからBYSに向かっていった。
会場では、日本の選手は勿論、ジャッキーさんやクリスさん、アランさんなどと精力的に会ってもらった。
このリバティワールドの現在の目標は北京のパラリンピックの種目になるためのキャンペーンといってよい。つまりこれだけでは終わりたくないのです。2005年イギリスでの開催を目標にしていますが,2006年にアジアでの開催ができればと言う希望を持っています。
其のアジアの大会にはシンガポールか日本の二つの選択肢があるのですが、日本でする場合には沼津でのリバティワールドの大会を開きたいとの申し出を行いました。勿論これにはまだつめなくてはならない問題が残されていますが、開催する事が可能なのかどうかを、知りたいという目的もありました。
オーストラリアの主だったアクセスディンギーの活動家に今回会うことでき一杉さんのアメリカでのヨット界とのパイプも又、アクセスディンギーの活動の世界的な普及にも、役立つ事が出来ると両者にメリットのあることのように見受けられました。
私たちのオーストラリアでの休暇はあっという間に終わりました。
最後の夜は早く宿舎に帰って、同宿の皆さんと一緒に食事をする事になっています。ヨットクラブでの皆さんとの別れを惜しんで私たちは珍しく明るいうちに帰宅しました。
ニューヨークのカメラマンの人は其の日はいませんでしたが、AYF セイラビリティAUSで、IFDSの理事のフィル・バーディさんが来ていて、まぁ〜一杉さんとフィル・バーディさんの真珠湾攻撃の話は、面白かった。
その場の人はみんな聞き入っていましたよ。
名残惜しい最後の夜でしたが、翌日の飛行機が朝8時30分と言うこともあり、其の余波みんなより早く眠りました。
皆さん12時過ぎまで色んな話をしていたようです。
一杉さんは、それから2日間滞在して、開催式の模様や、それに日本セーリング連盟の松田さんや小嶋さんと共にレースの見学をして、18日夕方の飛行機で帰国と言う強行スケジュールでした。
レースに出場された二人の日本選手は、共にカテゴリーBで5位と7位と言う成績でした。
第1回と言う歴史的なレースに出場されたことだけでも価値がありますし、お二人の今後の人生に自信とプライドをもたらせたと信じて疑いません。
山谷さん、小田さん おめでとうございます、それにご苦労様でした。
