初めてのアクセスディンギー普及委員
高知県セーリング連盟と言うのがある。
アクセスディンギーが、高知県障害者スポーツセンターに導入された時に、高知県セーリング連盟の人達と会いました。
その後、高知県のアクセスディンギーの活動が、活発にならずつながりが出来なかった、これには高知国体の実施と言う大きな事業がすむまでは、如何することも出来ないと聞かされていました。
高知国体のセーリング会場は、夜須町と言う町で行われましたが、動きが出てきたのは、夜須町で国体リハーサルのためのイベントがあったときに、高知県セーリング連盟から呼ばれた時が最初でした。
其のころ、アクセスディンギーの活動の普及は、遅々として進まず、組織つくりについても最初の挫折があり、どうもこのままでは立ち行かなくなるような、活動自体に閉塞感を持っていたころでした。
日本では、アクセスディンギー財団の示しているような社会貢献活動の広まりを持つことは相当難しいと思うようになっていました。其のころ、普及の希望は殆どありませんでした。
高
知セーリング連盟は、私にとっては,幸運を運んでくるように感じているのです。
最初の幸運は高知県セーリング連盟の文野さんが興味を持ってくれたことです。
期待していなかったというと失礼に思われますが、過度の期待はそれが外れると反動が大きいので、其のころ私はとある事から期待をしないでおこうと思っていました。
まして、東京に移ってしまい四国の高知に行くには時間と費用は自由になりません、移動の費用を何処も出してくれないというのは、何度も言っていますので察していただけるかと思うのです。
ですから、文野さんから、アクセスディンギー体験会の為に飛行機代を持つから来て欲しいといわれたときは本当に助かった思いがしました。
日本財団のこのイベントには日本セーリング連盟・身体障害者セーリング委員会(当時)からも委員長の方が来られていました。
他にも普及委員から来ていた松田さんにあったことも、幸運でした。以後、松田さんは色んな形でアクセスディンギーを紹介していただけました。
アクセスディンギーを、高知に納めたときには、まだお話をする機会が在りませんでしたが、其の時に初めて名倉海子さんにお会いしました。
次の年に国体を控えていた高知県では、夜須町でセーリング大会が開かれる事になっていました。其のアピールと受け入れの練習の為に行われた大会だったのでしょう、其のプログラムの一部にアクセスディンギーが加えられたのです。「お前なんかに何が出来るものか」と、言われていた当時の私にとっては救いの神様でした。
そして、やる気のある若い名倉さんのような方が、この活動に興味を持ってくれたことはどんなに私を勇気付けてくれた事でしょう。
この活動が若い人をもひきつける力があると感じたのはこのときが初めてでした。それに参加していただいた方々も、最初に参加した人も忘れずにこのときにも参加していてくれました、
又、スポーツセンターに、ヨットをやりたいといってくれているのを知ることが出来たのです。
文野さんは名倉さんをアクセスディンギー普及委員として紹介してくれました。
今でも其の名称を持つ委員が他にいるのか疑わしいくらいです。ともかく日本で随一最初のアクセスディンギー普及委員は名倉海子さんです。
高知県のこの大会は、大阪だけに止まらず、全国的な規模で普及できる事を示すものです。それは何より、今までヨットに関心を示さなかった人達が、セーリングに興味を持っていること、それが好きになっていてくれることを示しています。
名倉さんは、国体終了後、ニュージーランドに行き、そして、キャンベラで開かれたアクセスディンギー国際選手権参加されました。
現在、夜須町教育委員会の一職員として、色んな人達にセーリングを伝えていると同時に、Sailing for Everyoneの熱心な伝道師になってくれています。