2002年10月、アクセスディンギー国際レガッタ in Osakaを行った時に、日本セーリング連盟の秋山さんが国際審判員としてボランティア参加してくれた。
表彰式で秋山さんは、みんなの前に出て挨拶をされた。
いろんな人の挨拶を聞いているが、秋山さんのスピーチは私にとって大変印象に残るものだった。
私はこの活動を本気にしてくれる人、してくれそうにない人を見分ける術を、3年の間に養う事ができたと思っている。
其れはその人の心の中にハートを感じる事ができるかどうか、もし、其れが感じる事ができなければ、私は幾らアクセスディンギーを勧めても、最終的には誤解を持ったままに修正できない関係になってしまう。
秋山さんは、そんな中で純真な心を持ったセーラーだと深く印象に残るスピーチだった。
私に秋山さんを紹介してくれたのは、琵琶湖でセーリングを楽しみ大阪でも子供達と一緒にアクセスディンギーを楽しんでいる西浦さんと、高知県セーリング連盟の名倉さんだった。
国際大会で私達は、殆ど言葉を交わさなかった、しかし、秋山さんの「このボートを是非とも琵琶湖に浮かべたいので協力して欲しい」といわれたときには、秋山さんが、スピーチの通り本気で感動してもらっていると、感じた。
何故なら、大抵こんな場合、協力して欲しいなんていう言葉は出てこない、買ってやるから、パンフレットを見せろと要求して、話は大抵そのまま途切れてしまう。
しかし、秋山さんの場合は違った、私達は、この国際大会を通じて、潟潟Rーとその社会貢献グループFreeWill
からアクセスディンギー2.3広幅シートを寄付してもらっていた。それを東京に運ぶ際に琵琶湖によってアクセスディンギーを浮かべてみないかと言う打診があった。
私達は急遽グラームと名倉さん、それに淡輪ヨットクラブの女性の4人で、琵琶湖ヨットクラブを訪問した。
その日は京都新聞が主催するディンギーレースが行われていた。
秋山さんはさっそくアクセスディンギーの琵琶湖での最初の体験者になった。
秋山さんは、「さくら京都ライオンズクラブ」の近藤さんが来るまで、東京に引き上げるのは待って欲しいといわれた。
さくら京都ライオンズクラブは、障害を持った人たちにもセーリングの楽しみを知って欲しいと言う活動を10年近く続けている実績の在るクラブです。
近藤さんを私達は待って、セーリングをしてもらった、それに、京都セーリング連盟から色々な人にも同時にアクセスディンギーを見てもらった。
グラームや名倉さんもアクセスディンギーの活動について、説明してくれていた。
翌日の京都新聞には秋山さんがアクセスディンギーに乗っている勇姿の写真が掲載された。
私は時折その新聞のコピーを見せるときがある。その中には秋山さんのことを知っている人がいて、アクセスディンギー70歳以上クラスを作って青春を再びと言う人もいる。
どなたかやってみる人はいないだろうか?